ティーエクス航空コンサルティング・サービス合同会社
代表
髙山 信人
2020年の航空業界最大の衝撃は、やはり新型コロナ禍による未曾有の世界的な航空産業への影響です。 一瞬にして旅行需要もエアライン需要も航空機需要も最低レベルへ縮小しました。
一方、日本の航空業界ではもう一つの激震が最近ありました。 三菱重工が進めていたスペース・ジェット事業が当面凍結されるというのです。
新型コロナによる航空業界低迷が大きな原因ですが、12年前の開発開始から6度の納入延期など、ここまで遅れたことにメディアからは三菱重工の経験不足や管理能力を問う論調が多くありました。 確かにそのような要因もあったかも知れません
しかし、米国の連邦航空局(FAA)と長年、完成航空機の型式証明の取得、維持の実務経験を積んだ私から見ると、「まあ、ギリギリ想定の範囲内」と思えます。 何故か? 型式証明取得過程には計画通り進まない要素が満載だという事です。 この辺りの事情を紹介したいと思います。
私は三菱重工にて40年ほどの経歴のほとんどを自主開発の小型機、MU-2、MU-300の開発、維持に関わりました。 これらの機体は1960年代から1980年代まで合計900機ほど販売されその後製造中止していますが、現在でも世界中に250機ほど稼働しています。
このため、三菱重工はまだこれら機体の型式証明を保持し国土交通省にも米国FAAにも同機の型式証明維持の責務を果たしています。
つまり型式証明取得経験も維持経験も持っているのです。
スペース・ジェットの場合、特殊条件として日本の航空局(JCAB)と米国FAAの型式証明作業を同時に進めていることがあります。 対応する行政が同時に二つというのは前例があまりありません。 相互協定があるとは言え各種の証明作業が2度手間になり時間がかかるのは容易に想像できます。
更に証明すべき型式証明の要件は抽象的な記述になっています。
米国での大型機適用のFAAの耐空性規則、FAR25での電気装備品とその装備の要件を一例としてみましょう。(FAA FAR抜粋)
どう設計しましょう?どうとでも設計出来そうです。
具体的に設計内容がどう審査されるか?審査するFAAの担当審査官のほぼ経験的な判断の要素が大きいのです。 経験的判断の根拠は過去に審査した従来機種での経験則です。 ボーイング777ではこう設計されたなどです。 この点で「大型機の開発経験不足の三菱重工」と指摘されてもやむを得ません。
ただ、この審査がどのような経験則、従来設計例に基づいて行われるのか? これは実設計を提出して審査が始まるまで知り得ません。
ボーイング777の様に設計しても「担当審査官に777の経験がなかった」などという事もあり得るのです。 電気系統はこう設計すべきだというような「一般論」は無論ありますが、最新の装備品、回路設計の採用や革新的な設計をすればするほど、審査する側にも「未知の分野」であり、安全性を担保するためには前例との比較や追加の解析、試験など「一般的な設計」よりはるかに作業量が膨大になるものです。
つまり、耐空性証明の審査は、審査官の経験からの追加要件の理解、判断基準の把握、安全性証明のための手法の選択などの「不確定要素」をシステムごと、図面ごとに都度洗い出して確定し、証明が完結するまでの作業量が予想出来ない、という事になります。 また、審査要件は過去の事故、不具合事例の再発防止の観点で改正を繰り返して現行法規になっています。
理論的に安全性を計算して法令化することなどはまずありません。 前例主義です。 従って、型式証明審査途中でエアラインに事故などがあり、改善対策などが公表されると正式な追加要件の法規改正となる前から、FAAは審査中の要件基準に審査項目を容易に追加します。
上記要件の “must not result in hazardous effect” の追加審査と指示される事になります。
この他にも、ボーイング737MAXの事故対応など、FAA内部で優先される案件があれば、日本企業の対応より米国製品であるボーイング737MAXの再審査が優先されることは容易に想像されます。(公にこれを認めることはありませんが)
勿論、数多くの審査項目の中には計画通り評価、審査される項目も多数ありますが、「審査となって初めて指摘される。設計変更を要求される。」項目も多いことも事実です。 当然、設計変更を繰り返し、社内評価をやり直し、再審査となるので時間はあっという間に過ぎます。
ボーイング、エアバスでも事情は同様です。 ただ経験豊富で審査傾向の前例を理解しているので対応は比較的容易ですが、計画通り進まない事に変わりはありません。
航空機の型式証明を申請する会社は当然作業計画を作成して臨むでしょう。 設計作業に24ヶ月、審査期間が18ヶ月、飛行試験に20ヶ月などです。 ですが、審査する側が18ヶ月を約束した訳ではありません。 飛行試験も天候要因などで待機の期間も多く発生しますし、審査で設計変更が出れば試験機も改造しなければなりません。 こられを加味して計画してもさらに不確定の要素が「型式証明審査」では多々発生するのです。
私の経験は10年以上前ですので最新の状況は違うかもしれません。 ただ、本質的にFAAとの型式証明取得作業とは、「申請者の計画通り行く事はまず無い」というのが私の常識です。 山の頂上は見えるが登山道が見えず、最短路を信じて道を切り開きながら登っているのに似ています。 落石もあれば垂直の崖もあるでしょう。 いつ登頂できるとは言えません。
スペースジェットの困難はこれからも続くでしょうが、もう8、9合目と信じます。 航空業界が復活し開発を再開すれば、きっと型式証明はそう遠くなく取得できると期待しています。